第32番 光耀山 千手院 観音寺(かんのんじ) -高野山真言宗-
  所在地:徳島県徳島市国府町観音寺49番地 電話:088-642-2375
  札所観世音:千手観世音菩薩
  御詠歌:すてずなを みちびきたまへ かんのんじ
               にしおわがいのみだのみくにに

四国八十八ヶ所の兼務寺のため、御朱印をご依頼時には「西国三十三ヶ所の御朱印」とご指定ください

四国第十六番霊場。当寺は大平十三年の創建と伝えられ、聖武天阜の勅願道場であったと伝えられています。

弘仁年間弘法大師が当山にとどまって、本尊千手観世音菩薩と脇侍の不動明王、毘沙門天を刻まれ、それぞれ安置された。観世音は等身大で、金色であリます。

中世のころは荒廃していましたが、万治二年に僧宥応が再興して旧観に復し、また領主の蜂須賀氏は信仰が厚く、現存の堂宇はそのころ再建されたのであります。

千手観音は千の慈眼、千の慈手を具して、衆生を済度するところから、中国においても早くから大悲観音として圧倒的な信仰をみた尊像で、わが国でも十一面観音についで早くから造立された変化観音の一つであります。

当寺は道路に沿って細長く、山門をくぐるとすぐ目の前が本堂であります。境内は左に納経所、右に大師堂があります。

観音さんの霊験物語は、たくさんありますが、この寺の観音霊験実話を紹介しますと、明治二十七年ごろ、宮崎シヨさんは同行六人で巡拝していましたが、茶堂で火をたいて休息していましたが、ちょっとした不注意から着物に火がつき、全身火におおわれ大やけどを負った。シヨさんは若いころ、姑を柱にしばリ燃えているタキギで姑の全身を打ってせっかんしたことがあるので、これはその報いを受けたのだと、観音さまのいましめを深く懺悔したということです。後にシヨさんは、この様子を絵にして本堂に奉納したのであリます。

もう一つは、大正二年両親につれられて巡拝した盲目の高松伊之助さんは、当寺の観音さんの前で、目が見えるようになったということです




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