第10番 唯称山 寿楽院 福成寺(ふくじょうじ) -高野山真言宗-
  所在地:徳島県板野郡藍住町住吉字逆藤60 電話:088-692-2548
  御本尊:阿弥陀如来
  札所観世音:十一面観世音菩薩
  御詠歌:おとよりも さとるはとけは つねにただ
               となふるひとや わきてめぐまん

寺のくわしい歴史は不明ですが、応仁文明の乱の終った後の文亀元年(一五〇一)寛祐上人が再興したといわれます。 以来三好氏の深い信仰をえ、取立寺院の一として、二十貫が寄進され「七堂大伽藍」であったことが記録されています。

二十貫というのは取立寺院の最高額で、川北地方では地蔵寺・瑞川院と肩を並べるものであり、その規模は「五間に九間半客殿、四間に七間庫裏、井に三間に五間取次、三間に四間鐘撞堂、四間に八間下坊主部屋、三間に六間土蔵、三間四方表門、二間に四間裏門、三間四方観音堂、寺立は南向きなり。屋敷五反、四方藪」(阿波三好記井寺立屋敷次第)であったことがわかります。 また大門跡、釈迦堂、蓮池等の言い伝え地もあり、昔の境内地の広大さがうかがえます。

境内には山田陸太夫一家の墓石があります。山田陸太夫は姓を橘とい、近江山田の人で、阿波・淡路・土佐の守護職佐々木氏(近江源氏出身・名西郡石井町鳥坂-とっさか-の茶臼山に居城)の衰微によって住吉村に来住した有力者で、福成寺はその一家の菩提寺として栄え、住吉神社の別当としてその管理に当ってきました。

しかし江戸時代に火災にかかり、明治二十七年十二月にも聖天堂から出火、本堂・観音堂・庫裡を全焼して今日に至っています。

堂内には、木造の飛脚地蔵尊があります。伝によると、その昔ある人、城主に伺い書を出すため使者をつかわしましたが、途中病苦で果さず、使者は主人に申訳して文箱を返したところが、その中にはちゃんと城主の返事が入っていました。使者の苦痛を見て大慈悲の地蔵尊が、飛脚の役目を果して下さったというのです。この物語は「沙石集」にものっている有名な話です。

また寺のあたりを逆藤というのは、源義経が平家追討のため勢見山より讃岐に向う途中、福成寺境内に休憩した時、弁慶が馬の鞭として持っていた藤かずらをつき寺の境内にはそのさしたところ、逆さまに芽を出したので、地名になったといい、寺の境内に旧根を止めています。





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