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第5番 宝珠山 愛染院 千光寺(せんこうじ) -高野山真言宗-
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所在地:徳島県板野郡藍住町徳命字元村86 電話:088-692-5424
御本尊:愛染明王
札所観世音:千手観世音菩薩
御詠歌:おふかたの つきとやおもふ おもへひと
なくさのつゆに うつるひかりを |
当寺は、白鳳年間に行基菩薩が開創されたと伝えられています。のち承応年間に 愛染院と千光寺が合併して、本堂に愛染明王、観音堂に千光寺本尊の千手観世音菩薩を安置しました。
「阿波志」千光寺の項に「臥竜梅あり、蔓延十丈余(35メートル)重弁観るべし」とあります。重弁とは、藍こなし歌「花が見たけりや徳命へおじゃれ、徳命八重梅寺に咲く」とうたわれた八重梅のことであります。
この臥竜梅も今はなく、同町森内神宮宅の屏風に絵姿を残しているだけで、現在の八重梅はその後同種のものを移植したものであります。
この寺は梅の坊といって、阿波三坊の一つでありますが、蜂須賀藩主は、毎年この寺で観梅楽しんだのです。
第三代藩主至鎮公(義伝)は、ここで毒をもられたといわれています。これについて次のような民話が、伝えられています。
至鎮公は非常な傑物だったので、幕府はいつも、そむけへんかと常に心配をしていました。そこで幕府の重役等は、嫁を世話してやって、嫁に毒殺させてしまおうと決めました。そして福島正則の仲人で、家康の養女お虎は、至鎮公の妻となったのであります。
至鎮公はお虎を連れて、千光寺へ観梅に行ったのです。ここで「毒をもられた」のであります。妻に裏切られた藩主は、馬を早めて徳島城へと飛ばしたのです。途中、路傍の家で水を所望したのです。それが余りに美味であったので、以来租税を
免除したといわれています。(今の西新町)
やっとの思いで城に帰ったが、もはや毒が全身にまわっていた。「やい、徳川のどたぬきめ、よくもわしをだましたな」と、残念と叫んで庭へ出て、石橋の上で地だんだ踏んだら、石橋がばっきり二つに折れた。この石橋が、現在徳島公園の千秋閣にある石橋だと伝えられています。
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