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第23番 亀光山 釈迦院 金泉寺(こんせんじ) -高野山真言宗-
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所在地:徳島県板野郡板野町亀山下66 電話:088-672-1087
御本尊:愛染明王
札所観世音:千手観世音菩薩
御詠歌:みなびとの ねがいをかくる おふてらの
ほとけのちかひ たのもしきかな |
■四国八十八ヶ所の兼務寺のため、御朱印をご依頼時には「西国三十三ヶ所の御朱印」とご指定ください■ |
当寺は四国霊場第三番の札所でもあリ、天平年間聖武大皇の勅願によって行基菩薩が本尊を刻み、堂塔を建立して金光明寺と称されました。その後、弘法大師四国御巡錫の際に、当寺に黄金の霊水こんこんと湧制出するを見て金泉寺と改められました。
以後一時袞微していましたが、九十代亀山天皇(一二四九~一三〇五)は深く当寺を信仰され、中国洛陽の蓮華院を模して研究道場を開かれました。 「阿波誌」には「亀山天皇嘗て経庫を置き田若干を賜はる。以て徒弟を教育す。乂堂を作る三十三間、千手大士像を安ず」とあり、天皇は亀光山の山号を下賜され、勅願道場とされました。
こうした因縁の深い寺であるだけに、当時の寺域は広大で、今もその遺跡として、一の御堂・二の御堂・三の御堂などの呼び名が残っておリ、川畑の中から古瓦が出土しています。このため大寺の呼び名が此処の地名となっています。
しかし天正十年長曽我部元親の侵入によって堂塔ことごとく焼失し、わすかに大師堂を残すのみとなりました。大師堂は永徳元年(弘和元年一三八一)の建築で二間半四方、現在の本堂は天保三年(一八三二)の再建、不動明王をまつっている護摩堂は元和六年(一六二〇)の再建です。そして、本堂に向いあって建てられている観音堂は昭和四十九年に再興されました。
なおこの寺には源義経にまつわる物語が残っています。「源平盛衰記」によると「延尉義経は八島(屋島)討伐の途次中山のロに陣を取リ、翌日中山を越え引田浦よリ八島に向えリ」と記され、「長門本平家物語」にも、「金泉寺という古き堂あり」とあリ、一時立寄って戦椦新願をしたことを伝えています。
このため弁慶が持ら上げたという弁慶石が裏の池のはとりにあります。
最近この大寺の地は阿北交通の要となって、道路綱が大きく整備され、このため大型バスは新道をまわって寺に入ってこなくてはなリませんが、普通乗用車ならば、二十二番から旧道を通って二十三番金泉寺に参詣するのが使利です。
近所の名所では、阿讃両国を結ぶ大坂峠があり、ハイキングの好適地です。
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■駐車場情報 大型車は旧道通行禁止、大型以外は旧道利用が便利
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