第24番 無尽山 荘厳院 地蔵寺(じぞうじ) -高野山御室宗-
  所在地:徳島県板野郡板野町羅漢字林東5 電話:088-672-1068
  御本尊:勝軍地地蔵菩薩
  札所観世音:如意輪観世音菩薩
  御詠歌:ただたのめ だいひのとくの むじんざん
               こころにかなう ままのちかひを

四国八十八ヶ所の兼務寺のため、御朱印をご依頼時には「西国三十三ヶ所の御朱印」とご指定ください

四国寄場第五番札所でもある当寺は弘仁十二年(八二一)嵯峨天皇の勅願によって弘法大師が一寸八分の本尊勝軍地蔵菩薩を刻んで本尊とされ開基されました。

この地蔵尊は甲青をつけ、 早馬に乗った勇ましい姿で、戦勝を得、宿業・凶作を免れしめる本尊とされ、嵯峨・渟和・仁明天皇の帰依をうけ、鎌倉時代に源頼朝・頼家・実朝が深く信仰し、頼朝は自分の守本尊である愛染明王に安置状を添えて奉納しました。 その後、後宇多天皇(在位一二七四-一二八七)の代に、中興住職浄函上勅命によって紀州熊野権現の遷宮の導師をつとめているとき、権現のお告げにより霊木に延命地薩を彫刻し、弘法大師御作の尊像を胎内に納めたと伝えられています。

室町時代に細川讃岐守寺領五百五十石を寄付し、その当時は境内に役寺二十六ヶ寺あリ、讃岐・伊予に未寺三百余あり、南海道の一大本寺でありました。つづいて三好氏も寺領二十寛を寄進しました。 しかし、長曽我部の進攻によって本寺も役寺も先帝の論旨も鎌倉家の未印もことごとく焼失。蜂須賀氏人国と共に、取立寺院十二ヶ寺の一にあげられ十石が寄進され、また二万八千八百歩の租税が免除されました。江戸時代も当寺は四十五の未寺を特ち、宥乗・圭道・得仁のごとき真言宗きっての名僧を輩出し、大いに寺名を高めました。

現在の方丈・玄関・庫裡に元和年聞(一六一五~一六二四)の再建、本堂・大師堂は正徳年間(一七一一~一七一六)に再建、奥の羅漢堂は堯尊上人が大願をおこし、実聞・実名の兄弟僧が全国を行脚して、安永二年(一七七三)から天明四年(一七八四)にかけて伽藍を設け、五百羅漢像・八十八ヶ所本尊・三十三ヶ所観音像を彫刻して奉安しました。

しかし、大正四年三月十四日焼失してしまい、現在の諸堂並びに羅漢像は大正十一年から昭和二十年までにつくられたもので、羅漢像は百六十七体です。境内には蜂須賀水軍の総師森家代々の墓もあります。

附近の名所としては、四国霊場第四番札所の大日寺が二キロ北にあります。




■駐車場情報 大型バスは県道の駐車場へ、小型車・マイクロバスは寺の駐車場へ。
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