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第17番 最石山 松寿院 法勝寺(ほうしょうじ) -浄土宗西山禅林寺派-
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所在地:徳島県鳴門市鳴門町三ッ石字南大手23 電話:088-687-1783
御本尊:阿弥陀如来
札所観世音:聖観世音菩薩
御詠歌:かれしきに はなさくのみか みほとけの
みとなるのりに まさるのりなき |
当寺に伝わる「当国第十七番略縁起」によると、百八代後陽成天皇の時代、淡路南淡町櫟田の聖徳太子ゆかリの寺といわれる日光寺に、源竺上人という三学に秀でた徳僧があり、聖徳太子よリ夢中にさずけられたというこの観高を背負い、慶長十一年(一六〇六)三月閑空という弟子一人を連れて四国に渡リ、所々霊跡を遍すること二千余日、終って淡路に帰ろうとして当地に来たが、一天俄にかき曇リ風雨はげしく、当時このあたリは人家少なく宿る場所もなかったため、現在の境内地の大樹のもとにたたずみ一夜を明しました。風雨は七日間つづき、八日めの夜、上人は尊像よリ
「我れ、ここに留りて永久に衆生を済度す」
とのお告げをいただき、目を覚ますと、前の海上に宝珠の形をした大石が三つ忽然として現われ、その上に大光明を放って大龍諸神が出現し、当山に飛び来ったといいます。そこで地名を三ッ石といい、山号を最石山と名付けました。
当寺の地形を眺めてみると、後ろに峨々たる高山がそびえ、前には滄海がひろがリ、こここそ仏感応の地であるとして当寺を建立し、本尊を二重の厨子に納め、淡路日光寺の山号である法性山を寺号に改めて法勝寺とし、第子閑空を住職として止め、自らは淡路に帰られました。
この観高堂は本堂の右手から石段を登った小高い所にあリ、開創当時はまだ本堂もなく、三方山に囲まれ、前に小鳴門の海を眺め、海水は寺の下まで打ち寄せており、まことに閑寂清雅なきを示していたことでしよう。
その後、塩田の開発がすすみ人浜式の美しい風景がみられましたが、戦後それが技条架式にかわリ、今はもうそれも埋められてしまい、学制の改革によって寺のすぐ下に中学枚ができましたが、これもまた移伝し、海の向いには競艇場ができ、昭和三十六年には小鳴門橋も開通しました。この果しない変転の中にあっても、寺は今も静かなたたすまいを残しています。
附近の名所には紀貫之の歌碑のある土佐泊潮明寺、小宰相の墓、鳴門公園などがあります。
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■駐車場情報 大型・マイクロバスは前の道路に、小型は境内に
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