第18番 常福山 昌住寺(しょうじゅうじ) -西山浄土宗-
  所在地:徳島県鳴門市鳴門町高島字山路58 電話:088-687-1748
  御本尊:阿弥陀如来
  札所観世音:十一面観世音菩薩
  御詠歌:ふだらくに さしもかよひて とことはに
               さちあるやまの つきぞさやけき

法勝寺よリ西へ二・八キロで昌住寺に着きます。この寺は後に山をかかえ、自然の風致を取り入れた清閑な寺で、慶長九年(一六〇四)淡路よリ塩田開拓者と共に高島の地に来た空誉源哲大徳の開基であり、阿波では数少ない浄土宗の寺院です。 中央の本堂は壮大な建築を示し、本尊の阿弥陀如来は丈六の座像(一七一・二センチ)で、鎌倉時代の古仏をモデルにして、江戸初期に造られたものといわれています。右側の観音堂には正面奥に観音菩薩、左に庚申さん、右に薬師如来をまつってあり、本尊十一面観世音菩薩は当山の鎖守歳徳神の本地仏です。

安永の頃、第七世彊空上人が観世音の霊告により、深くこの尊像を信仰され、公卿、大臣の帰依深く、安永八年(一七七九)に二条殿の祈願所となり、天明六年(一七八六)よリ毎年歳徳神八将神の御祈願守札を阿波藩主蜂須賀家へ奉献して来ました。享保十七年(一七三二)には京都の公卿宝鏡寺中興・徳巌理豊尼より菊の御紋章人リの常福山・昌住寺の額、二枚を御寄附され、現本堂に掲げています。 宝暦三年(一七五三)に五条殿より、御当家伝来の天満宮の神像一体を御寄附されました。

境内には他に弘法大師堂、伏見稲荷より勧請した稲荷神社等があリ、現在の建造物は、本堂(一九三坪)は正徳二年(一七一二)、観音堂(二〇坪)は文政十三年(一八三〇)、庫裡(一〇八坪)は弘化二年(一八四五)にそれぞれ建立されたもので、当時の建物がそのまま推持されています。

昌住寺が広壮なのは、慶長年間から塩方十二ヵ村の中でも高島の塩田面積が広く優秀な塩を沢山生産しました。その財力と昔の人々の信仰がもリあがって出来たもであるといえるでしょう。

山と池と座敷とが一体となった庭園も一見に値いします。 高島の塩田は昭和四十七年に廃止され、埋立てられ、ウチノ海総合公園、鳴門教育大学の創設などレクリエーンョン地区、住宅地区、文教地区としての総合計画を立て、小鳴門大橋、幹線道路も整されました。





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