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第16番 神応山 延寿院 斎田寺(さいでんじ) -高野山真言宗-
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所在地:徳島県鳴門市撫養町黒崎字八幡108 電話:088-686-3204
御本尊:聖観世音菩薩
御詠歌:なにしおふ ゆうきがうらの かんぜおん
ふかきちかいを いまにきくかな |
寺伝によると、当寺の前身は木津中山の袴越山にあって、聖武天皇の勅願所で行基菩薩の開創といわれています。下って、弘法大師四国遍歴の途中この山をごらんになり、山容が観音霊場フダラク山に似ているとして聖観音像を刻んで安置され、寺号を観音寺とされました。
その後、火災のために焼失してしまい、本尊様を奉じて観音嶽に至リ、この山頂におまつりすることになりました。 「源平盛衰記」によれば、寿永年間三位中将平維盛(たいらのこれもり)は屋島壇ノ浦の戦に敗れ熊野に落ちのびる途中、伊吹浦よリ観世音を拝し、平家再興の祈願書を捧げております。
江戸時代に入って、岡崎城主益田大膳はこの観世音に帰依すること厚く、中山では山地のため参詣に不便であるとして、自ら大檀那となって現在地に勧請し斎田十二ヶ村の総析願所とし、寺名を斎田寺と改称しました。
現在の観音堂は寛政元年(一七八九)再建されたもので、この時勝浦中田の住人壁内益左衛門尉豊久は二十八歳にして籠彫(かごぼり)の技術をもって建物に見事な彫刻を施しています。本堂に大日如来を安置し、享保年間に再建、現在の建物は安政・文久年間に建てられています。
寺宝としては、観音縁起、日本三体の一といわれる親鸞上人の尊像並に古文書があリます。
境内には元禄年間作の庚申石塔、江戸末期サンフランシスコ漂着の片井政吉墓碑、胃腸病に霊験あらたかな堀越観世音、水子地蔵尊、中山よリ移された「平維盛馬つなぎの桜」があリます。さらに裏山金光山一帯にある新四国八十八ヶ所は、嘉永三年(一八五〇)市内立岩の恵助老人が発願周施して、同七年完成したものです。
その後、明治時代になりそれぞれの札所に寄進者が付き、番外・善光寺など現在百十〇基を越える石堂宇に新築・改築され「斎田(さいた)のお大師さん」として有名で、毎月の御縁日には沢山の参詣者でにぎわっています。山頂からの眺めはすばらしく、昔から撫養港(むやこう)に入る船はこの頂上の燈火を目標に入港してきたといわれます。現在は鳴門市民のハイキングコースとしても親しまれています。隣接の宇佐八幡神社の神事「お御供(おごく)」は県指定民族資料として有名です。
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■駐車場情報 大型バスは病院前の道路附近へ、自家用車・マイクロバスは寺の南側駐車場か境内に
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