第15番 白毫山 仏心院 光徳寺(こうとくじ) -浄土宗-
  所在地:徳島県鳴門市撫養町小桑島字前組92 電話:088-685-2312
  御本尊:阿弥陀如来
  札所観世音:十一面観世音菩薩
  御詠歌:やみのよのまよいをてらす こうとくじ
               びゃくごうさんのみ ねのつきかげ

鳴門市には四ケ寺の浄上宗寺院がありますが、これらはすべて塩田開炻のために県外から移入してきた人々にはって建立されました。

天正十三年(一五八五)播磨国(兵庫県)竜野(五万三千石)から阿波の大名に転ぜられた蜂須賀氏は、入国と同時に、経済に意を用い、財政の確立につとめました。 初代の家致は無養の地を視察して製塩に適することを知るや、慶長四年(一五九九)三月撫養城代益田大膳に命じて播磨国荒井郷の馬居七郎兵衛・大谷五郎右衛門をまわかせ塩川開墾に着手しました。その後、淡路志知川村よリ橋本市右南門・吉田助太夫・中島喜左衛門等が移住し、桑島の地に塩田を開さました。

これら志知川の人々は浄土家光明寺の檀家でしたから、移住とともに、慶長七年(一六〇二)桑島の与左左谷(よさざだに)に江徳寺と八幡神社を建立しました。

江徳寺は光徳寺の前身で、初代住職は善及上人であリました。その後、明治三年、廓誉上人が現在の地に移転し、九間四面の広壮雄大な本掌を建立しました。 この建物の規模を眺めても、当時の塩業家および塩運搬業である江戸通いの財力が、いかに大きなものであったかがうかがえ、ことに明治推新によって統制が解かれた後に、江戸通いが莫大な利益をあげて、本山級の大寺院を建立したことかわかリます。

本尊阿陀如来と十一面観世音菩薩は、藤原未期か鎌倉初期の作といわれ、ともに鳴門市の文化財に指定されています。境内には桑島開拓の始祖である橋本市右南門・吉田助太夫・中島喜左南門の墓があリます。 また庫裡の座敷に面した庭は、山を背景にして幽邃の趣があリ、まことによく手がゆきとどいています。

昔は、次の十六番斎田寺を終えて黒崎から十七・十八番へ渡っていたのですが、今は十五番光徳寺のある桑島から小鴫門橋をって、十七番へ向いますので、十四番長谷寺から十六番田寺へ、十六番斎田寺から十五番光徳寺へ、そして十七番法勝寺へ向うのも一つの方法です。





このページのトップへ

Copyright (C) 2019 Kannonreijyo Awa Saigoku 33. All Rights Reserved.