第12番 医王山 恵勝寺(えしょうじ) -臨済宗妙心寺派-
  所在地:徳島県徳島市川内町中島300 電話:088-665-1194
  御本尊:釈迦如来
  札所観世音:如意輪観世音菩薩
  御詠歌:くれかかる ふねもおぼろの なかしまの
               やなぎのもとの つきぞえしょうじ

今切川の中流、工業団地の川向うの田園地に・当寺は静かな構えをみせ、門前の「阿波西国第十二番霊場」の大きな石碑を眺めて門をくぐると、本堂・観音堂と共が、暖かく参者を迎えてくれます。

臨済宗妙心寺派の流れをくむ恵勝寺は、慶長二年(一五九七)三月玉峯和尚によって創建され、当時は医王山安久寺と称していました。医王とは、人々の心の病をなおす王で、お釈迦様をさしています。その後、幾度か今切川の水害にあい、寛文九年(一六六九)二世益愚和尚の代に、興源寺頑叟禅師によって中興され、寺号を恵勝寺と改称し、同寺末となす。

そして、四世瑛巌和尚により再中興、六世中宝和尚の代に本堂が再建、八世晦谷和尚の代昭和十一年に庫裡も改築され、十一世大道和尚の代昭和六十二年に本堂、庫裡再建されて、今日に至っています。

昔の観音堂は、古い記録が水害に流されてわかリませんが、現在の建物は元禄五年(一六九二)十月二十日、三世素陽和尚の代に土地の庄屋佐藤善右衛門により上棟新築され、新たに観音像一体を安置後、平成三年に中島町内会によって再建されて現在に至っています。 長者佐藤善右衛門は可愛いい娘に先だたれ、その愛娘の菩提のために大金を投じて奉納した如意輪観音は、高さ一メートル余りの子供の大きさの坐像で、慈眼豊頬・金色燦然たる見事なお姿は、故島居龍蔵博士の折紙付のものであり、文化絢爛た元禄期の製作を如実に物語っています。

いつの時代も、子を思う親の心は同じで、善右衛門夫婦は 其の後出家し、親子三人の墓は今も当寺の墓地に並び、寺には善右衛門夫婦と娘の姿を画く三幅対の絵が伝わっています。

また当寺には、四世瑛巌和尚が九州宮崎県の鵜戸神官から請来した有難いお石があります。 これは「うとさん、うとさん」と近郷にまで知られたお産の神様で、このお石をなめさせていただくと、お産が殊の外かるく、なおお乳の出ない時には、御神水をいただけばお乳が出るようになるといわれ、その昔は大変人気があったそうで、観音堂の前にはお蔭をもらった婦人達により、立派な乳恩報謝塔が建立されています





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