第22番 砥川山 医王院 妙薬寺(みょうやくじ) -高野山真言宗-
  所在地:徳島県板野郡板野町川端字医王院2 電話:088-672-1467
  御本尊:薬師如来
  札所観世音:聖観世音菩薩
  御詠歌:くもリぬる こころをみがく とがわさん
               しゅじょうのための ちかいたのもし

当寺は聖武大皇の天平年間行基菩薩の開基されたもので、本尊薬師如来・日光・月光・十二神將等も行基の作と伝えられ、またみずから法華経一部八巻を写書して奉納されました。当時の本堂は奥砥川にあリ、附近の石はすべて砥石だったので、村人達は斧や鎌をとぎにきたため砥川の名がつけられ、砥川山の山号もつけられました。

平安初期清和天皇の貞観年中有徳の僧住千は砥川山の山頂に本堂を建て、麓に仏殿・法堂・庫裡・鐘樓等を建てて七堂伽藍がととのいました。その後、当地の城主川端越前守時賢は薬師如来を深く信仰し、田地を寄進して城内守護の祈願所としたため寺勢大いにふるい、当時は若王寺・志恩寺・徳利寺・志祥寺・宮坊という五つの末寺もありました。

しかし天正年間、上佐の長曽我部元親の兵火によって麓の建物はことごとく焼失、わずかに山上の本堂を残すのみとなリました。文禄五年(一五九六)八月一日遠州の人光善坊日本国を遍歴して当寺の本章に一夜をすごした時、「我が堂を再建せよ」との本尊様の霊夢を感じ、住職宥勝と力を合わせて復興にとりかかり、山上の本堂参詣しやすいように現在地に移されました。

その後寛文二年(一六六二)・:延宝五年(一六七七)の造営がすすみ、ようやく整備されてきましたが、昭和四年旧正月の火災ですべての建物を消失、当時の住職寺西泰岳師は自ら薬師如来を彫刻し、昭和十年春那賀大寺の降禅寺よリ霊験あらたかな薬師如来と不動明王を勧請しました。 薬師堂と庫裡は火災後まもなく再建され、現在本堂再建の議案が檀家徒によってもちあがっています。

境内には「松植えて竹のほしさよ秋の風」の色蕉の句碑と、俳人安芸菖宇の墓があリます。この句碑は、川端の出身で県下屈指の俳人であった安芸菖渓(一八四八~ー九〇〇)が明治初期に建立したものであり、菖宇は葛渓の息子です。 また附近名所としては、昭和三十三年使島県史跡に指定されている川端愛宕山神社跡があリます。ここには全長九十メートルの前方後円墳があリ、後円部四十メートルを平野の方に向け、六メートルの縦穴式石室が東西に向って作られています。




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