阿波西国33ヵ所は、徳島市眉山(びざん)のふもとから、清い流れの吉野川、鳴門の景勝から、大麻(おおあさ)、羅漢、切幡(きりはた)と阿北の名勝をへて、水郷の鴨島へ。
この地域に点在する観音信仰の霊場を、1番から33番に配したのが「阿波西国33ヵ所」です。

阿波西国の起源は、享保3年(1718年)2月発刊の「阿波三拾参所巡礼記」によると、宝永7年(1710年)に阿波北方の藍園村東光寺の観音講元である普門軒円通居士が、観世音菩薩の霊告を受けられて、真言阿闇梨(あじゃり)栄義上人とともに巡礼したのが始まりと記されています。

「阿波参拾参所巡礼記」の発刊によって、享保のころから阿波西国の巡礼が一般に行われるようになりました。

文化文政(19世紀初頭)の頃には、各霊場寺院の住職が先達となって、巡礼が盛んに行われるようになり、1860年ころからは阿波西国巡拝の案内記が、多く出版され、阿波西国参りは、四国88ヵ所参りとともに盛んになりました。

明治・大正の初期も、大師講などのグループで、声高らかに御詠歌をとなえながらの巡拝が増えてきました。
しかし、昭和になってから、次第に衰微していきましたが、近年「阿波西国を復興しよう」という声が高まり、昭和47年に復興法要を行い、霊場会も再発足いたしました。
2017年には、復興45周年記念法要を開催し、巡拝も日増しに盛り上がってきています。
  













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