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第20番 医王山 勧薬寺(かんやくじ) -高野山真言宗-
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所在地:徳島県鳴門市大麻町市場字大道33 電話:088-689-0537
御本尊:薬師如来
札所観世音:聖観世音菩薩
御詠歌:いのりなば なおもりしょうの えにちざん
じげんにもるる ひとはあらじな |
もともと二十番霊場に大麻町三俣の観音寺で、「阿波誌」によると「三又村に在り東林院に隷す(所属す)'観音像を安ず(おまつりす)。また明音寺、:水林寺あリ共に誓願寺に隷す」とあリます。
細川・三好氏の当時は旧吉野川の川向いに勝端城があって隆盛を極め、城下には三十六の寺が甍を並べていたといわれます。 したがって、これに隣接するこの地区も寺が多く、現在でも部落ごとに寺があり、三俣にも三ヶ寺あったことがわかります。現在伝わっている記録によりますと、観音寺は寛文六年(一六六六)宥寿上人が創立し、昭和のはじめには境内一反、田畑三反、十二坪の本堂と、ほかに大師堂がありましたが、昭和九年の大風水害で全部倒壊し、二十軒の檀家では再建不可能で、昭和十六年本尊様とともに勧薬寺へ吸取合併されました。
勧薬寺は享保七年(一七二二)の創建で、本尊薬師如来は日和佐薬王寺の本尊様、大代勝福寺の馬越薬師と共に、同じ木をもって作った一木三体の像であるといわれ、旧二月一日の厄除の祈祷日(現在は休止状態)には産後乳の少ない母親は、薬師如来の御仏飯をいただき、それをおかゆにませて食べるとたちどころに乳が出る
といわれています。最近寺の内外が大整備され、境内には可愛いい水子地蔵尊がまつられています。
附近の名所としては、堀江八景一である旧吉野川堤防のススキがあリますが、忘れてならないのは大谷焼です大谷焼は安永九年(一七八〇)に、豊後の焼物師文右衛門が四国遍路の途中大麻町大谷に宿を乞い、この地の蟹ヶ谷の赤土をもって日用雑器を焼いたのがはじまりといわれています。
その焼物細工が大評となり、時の藩主蜂須買治昭が保護奨励して発展したもので、焼物の素朴さが好計です。これを焼く「登リ窯」の規模は日本一の大きさといわれています。最近では民芸調の小物物器が生産され、更に瓦焼の技法が加えられるなどして、徳島県の代表的民芸品として愛好されています。大谷にある各窯元では展示場を設けていますから、愛好の人々は参拝の途次一見するのも一案。
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■駐車場情報 大型バスは前の道路へ、小型・マイクロは境内へ
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